suztomoの日記

To be a good software engineer

Chip War

Chat GPT時代の先を読むのに過去の半導体戦争は役に立つかもしれない、ということでNYPLで予約して物理本を借りた。

全部は長すぎるので飛ばし読み。途中日本の会社が現れると関係ない他人のことでも嬉しい。

2 The Switch

William Shockleyは状態によって電気を通したり通さなかったりする半導体をNJのBell Labsで研究していた。半導体の理論を確立した。同僚のWalter BrattainとJohn BardeenはSchockleyの理論を使った実験に成功した(1947)。ゲルマニウムの周りに流れる電流を制御するのに成功した。トランジスタの誕生。AT&Tは通信信号の増幅に使えるだろうと思った。また当時はそれが何の役に立つか皆よくわかっていなかった。

3 Noyce, Kilby, and the Integrated Circuit

Jack Kilby (Texas Instruments)はワイヤーを使って「複数の電気部品を一つの半導体に乗せるintegrated circuit」(chip)を作った。Chipの名前の由来はシリコンウエハーを折って(chip)使うから。

NoyceがHoerniのアイデアを使ってワイヤーを使わないintegrated circuitを作った。

Shockleyは悪いマネージャーだったので8人のエンジニアは彼の研究室を離れてFairchild Semiconductorを作った。Robert (Bob) Noyce and Gordon Mooreはこの中。

4 Liftoff

Fairchild SemiconductorとTexas Instrumentは、ロシアに宇宙探索で負けていたNASAと冷戦のアメリカ軍を顧客に成功した。

6 “I…want…to…get…rich”

Fairchild semicnductorは値段を大胆に下げて民間の用途にも拡大して、シェアを80%にまで伸ばした。 しかしFairchildの投資家は社員に株を配ることをよしとしなかった。社会主義的だと。従業員はお給料はよかったが大金持ちになれるほどでは無かった。そこで皆が離れて行ってしまった。

7 Soviet Silicon Valley

USSR半導体産業の研究開発のためにZelenogradという町を作った。

8 “Copy It”

USSRには優れたノーベル賞を取るほど優秀な研究者たちがいたが、上層部の命令で「アメリカのチップをコピーする作戦」を続けた。チップは研究や理論だけでなく大量製造の工程も大切なのだがチップだけを見ていたUSSRはそこに目を向けられなかった。 研究内容は厳密に管理され研究者は気軽に口にできず、若者は偉大な人たちの存在すら知らなかった。

9 Transistor Salesman

池田首相がフランス大統領にソニーのラジオをお土産に渡した時「Transistor salesman」みたいだったと言われた。日本は確かに半導体の製造で大成功を収めた。

菊池誠は戦後に国の研究所にいた。アメリカは占領中でもアメリカは日本の研究者にBell system technical journalなどの雑誌を読ませてもらえていた。

1953年、ソニーを立ち上げた森田はAT&Tからトランジスタのライセンスを取得した。その時からトランジスタが世界を変えると分かっていた。

USSRと違い、日本の製造業は効率化が得意だった。ソニーは人々に新しい物を提供し大成功した。森田曰く

"Our plan is to lead the public with new products rather than ask them what kind of products they want” “The public does not know what is possible, but we do.”

Texas instrumentsトランジスタラジオを発売したが値段が合わずに失敗していた。Sonyは安価な物を出したので成功した。マーケティングが上手かったとされる。

同じように電卓もTexas Istrumentsが作ろうとしたが機能が多すぎて高すぎて頓挫していた。Sharpは簡単な安価な電卓を作れたので成功した。

冷戦の中でアメリカは日本にトランジスタ製造に成功して欲しかった。ソニーの森田はTexas Insrumentsが日本に工場を作るのを助けた。

10 Transistor Girls

TIらは労働力が安いアジアで半導体を作り始めた。

11 Precision Strike

ベトナム戦争ではアメリカ軍の爆撃の精度が悪かった。Texas Instrumentsはレーザー光線に合わせて翼の傾きを変える安価な爆弾を作って精度を上げた。アメリカは戦争では負けたが半導体が爆撃の精度を上げるという実験には成功した。

12 Intel's Revolutionaries

1968にNoyceとMooreはFairchildを辞めてIntelを創業した。2年後にDRAMを発売。これまでの磁気式記憶装置より効率的な装置だった。

従業員Ted Hoffは日本のBusicomの個別の無図解要求を考えていたが、すぐにコンピュータのチップは一般的なものが多くのものに適用できるだろう、と考えた。Intelは世界初の4004 microprocessorを作った。"a micro-programmable computer on a chip"

15 “That competition is tough”

1980年代は日本の会社がDRAMアメリカの会社に勝ちつつあった。当時最大のプロセッサの買主であるHPが発表したことによると日本製のDRAMは同じ値段でも性能が4倍壊れにくい。

1979年にはソニーウォークマンを販売開始してアメリカを始めとした世界で爆発的人気を誇った。

日立の従業員が産業スパイでFBIに逮捕される事件もあった。Intellectual property theftとその裁判はアメリカではよくある事。

日本の大企業はバックに銀行がいるのでお金を借りやすい。6%の利息ぐらい。一方でアメリカの会社は18%程度だった。お金の借りやすさは工場などの設備投資につながる。   

20 "The Cold War Is Over and You Have Won"

90年代には日本のバブルが崩壊して日本の半導体会社の業績もガタ落ちした。それまでは銀行がどんどんお金を貸してくれるので利益に関わらず工場を作っておけば良かった。作られたものは殆ど採算が合わなかった。

日本の会社はDRAMに傾注しすぎていてIntelがやっているmicroprocessorの波に乗りそびれた。NECが挑戦したが上手くいかなかった。

冷戦が終わりゴルバチョフシリコンバレーを訪れた。東ヨーロッパから兵を引く代わりにアメリカの技術を輸入したいと。

36 The Fabless Revolution

TSMCSamsungなどのFab Foundryの登場で工場を持たなくてと優れたアイデアがあればチップメーカーになれるようになった。

Nvidiaは1993年の創業当時から工場を持たない。シンプルな計算を並列に行うチップはグラフィックスだけではなくシュミレーションや人工知能に使われるようになった。Nvidiaチップで動くソフトウエアCUDAを無料で公開した。

Qualcommもそのひとつ。大学で先生をやっていたIrwin Jacobsがムーアの法則でこれからより高度な周波数の使い方ができると理論を作った。周りは懐疑的だったがQualcommを立ち上げて成功した。今ではQualcommの特許が全ての携帯電話で使われている。

FPGAを作ったXilinxもfabless.

38 Apple Silicon

TSMCなどのfoundryの台頭でAppleiPhoneの製造に成功した。PC用のIntelのCPUがUS, Ireland, Israelで作られているのに対してiPhoneのものは中国で作られている。

Main processorのチップだけでなくBluetooth, Wifi, 携帯電話それぞれにチップがある。

Steve JobsiPhoneのメインプロセッサをIntelに作って貰えないか聞いたがIntelのCEOはモバイルの未来を見ることができずに断った。AppleはARMベースのものをSamsungに作ってもらった。ARMはx86よりも低電力でモバイルに向いている。

41 How Intel Forgot Innovation

Intelは新しい市場を開拓できなかった。パソコン市場はみんな買ったから伸び悩んでいる。データセンターではGPUの波に乗れなかった。

TSMCのようなFab Foundryをやってみたものの、TSMCと違って秘密主義ということとIntelのルールに従わないといけない点で成功しなかった。TSMCは顧客と競合にないが、Intelはどのチップの分野でも競合になる。結局数年で閉じる事になった。

ずっとtemporary delayと言って10nmや7nmの製品が遅れたままになっている。おそらくはEUVを導入できていないことになっているだろう。

世界一のチップ製造技術はTSMCSamsungとなった。どちらも中国の目と鼻の先。

42 Made in China

中国はインターネットの波に上手になってAlibabaやTencentを育てるのに成功した。しかし中国の首相は満足できていない。中国で製造されているが、コアの技術は中国の外の会社(Nvidia, Intel)が持っている。Made in Chinaの物を沢山世界に輸出しても大きな利益を得るのはそのブランド(Appleなど)である。

  • 資本
  • アメリカで学んだ人材
  • 外国の会社と協力するが、従業員のトレーニングを必須とした